沖縄人の持つ色

IKUYO NAKAMA ARCHITECT & ASSOCIATES

2015年08月18日 13:38

(一財)建築保全センター広報誌「Re」2015年7月号
特集記事「色彩のちから」に寄稿


編集規定があり(である調)専門向けで少し読みにくいかもしれませんがご興味ありましたら
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1.はじめに

 深く考えず気軽に本稿執筆を引き受けてしまい錚々たる有識者諸氏と並び、建築設計の立場から色彩について語るのは大変恐縮だが、箸休め的に読んで頂ければ幸いである。
 辞柄、読者諸氏に期待されているであろう一般的な建築に関する色彩学からも少し離れているこ
とを最初にお伝えしておきたい。
 生まれ育った地元沖縄で、設計事務所を創業し今年で13年目を迎える。実績として主に住宅が多く、ここ数年日本語表記の弊所ホームページを見て下さり海外から仕事のお話しも頂けるようになった。(現在は英語表記ありhttp://ikuyo-nakama.jp
 “建築は世界の共通言語”と言われているが、人の琴線に触れる言葉を発するような建築を同じような視覚的言語である色彩からも探れるのではないかと考えていた。
 色彩と建築の持つ言語について、通じるものがあるのではないかと思うきっかけは、オーラソーマというカラーセラピーとの出会いである。
2.オーラソーマ
 “dis-ease”心が安らげない状態。
 それがたった一つの本当の病気(disease)と考えている英国オーラソーマ社のカラーケアシステムは、上下2層に分かれた色のついた液体が入っている小瓶111本の中から好きなものを4本選び出し、選んだボトルによってその人の心理状態が分かるというもの。
 受け手(ボトルを選んだ人)が選んだ色の意味を知ることで自身を内観し自分で自分を癒すというプロセスをとるカラーセラピーで、若い女性に人気の内容である。呪術的な印象で占いと同じものとして感じられる事も多いかと思う。
 しかし時代を振り返れば、もともと色彩は古代から中世にかけて呪術と一緒に存在していた。雨が欲しい時には黒雲の色を真似黒い服で儀式を行った(共感的呪術、模倣的呪術)未開の人々。赤はキリストの象徴として宗教のシンボルであったり、王族、貴族、屈辱の人々、社会階層を表す色として、色彩史は象徴史とも言われ、そして現在は科学が発展し合理的精神のもと、その呪術が解けた時代とも言える。象徴的な視覚言語であった色彩が、今はモノの外側につく単なる視覚的な言語としての役割を果たすのみになっているのだが、目にみえる色が目にみえない心へと導くというオーラ―ソーマのような思想は色彩にまた新たな言語としての方向性を見い出せるような気がしている。
 量子力学の世界では、ある特定の波動を持ったエネルギーは、同じ波動を持つ他のエネルギーを惹きつける傾向にある、とされている。一つの固まりに見える物質もより精密なレベル(原子レベル)では、分子の中により小さな粒子が浮かんでいる。固まっているように見える「固体」も実際のところエネルギーの一つの形態。アイデアや思考は変化しやすい比較的密度の薄いエネルギー。
 すべてのものはエネルギーであるとされるなら波長の存在である私達は知識がなくても必要な色を選んでいるという事は理にかなっていることなのかもしれない。似たもので似たものを癒すというホメオパシーの原理に近いオーラソーマだが、目や肌から色彩の効能を得るために建築に直接色を塗ることも大切と考えられるが、私はその人自身でしか体験できない心の波長に同調するものとして色を捉えた時、色を通して触れられる一人ひとりの神秘、色の語る高いメッセージ性に興味を惹かれるのである。


オーラソーマのカラーボトル。111本の中から4本を選びます。

3.沖縄の建築文化について、沖縄人の持つ色

 色が言葉を持ちその人を表すものならば、沖縄人の気質、沖縄の持つ波動は何色なのだろうか。本稿を書いている梅雨前の5月の沖縄は、春の薄い水色の空が夏の空へと色濃く変化する変容期で、梅雨が明けると一気に青く青く迫りくる前の伏線のように、夕日が一段と美しい。身近にある超現実的な沖縄の美しい自然の色は今も受け継がれ、変わらない素晴らしさを誇っている。
 1959年に沖縄を訪れた岡本太郎氏は、その著書「沖縄文化論―忘れられた日本」で沖縄文化についてこう述べている。

この特殊な地域に足をふまえた、独特の「琉球文化」というもの、それと日本との比較、対象によって何かを発見できるような気がしていた。(
中略)全てを通していえることは、どうももとは中国であり、南方であり、朝鮮、日本である。そのあらゆくスタイルがまじっている。見ているとそれらの原型がダブって、反応の方が色濃く出てきてしまう。いわば借り物であって、沖縄全体がそこからつき出てくるというもので、残念ながら
ない。クリエートされた気配、その息吹が感じられないのだ。この島は資源に乏しく、古来交易がさかんだったが生産はしないところだ。したがって外来物の適当な綜合しかできなかった、文化の宿命かもしれない。(中略)沖縄の人が底抜けにいい証拠だろう。無邪気で、明朗で、こだわらない。だからよそから持ってきたものを平気で自分なりに変えてしまう。アカデミックにそのまま真似て、本場ではこうなんだなんて権威づらして固定してしまうのは、いやな奴らに決まっている。(中略)私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実態も持っていない―といって差し支えない御嶽(うたき)だった。この何もないところに、実は沖縄文化論のポイントがあるのではないか。
 

 今の沖縄建築は、その氏の言葉通り中国、東南アジア、アメリカ、日本、モダニズム、すべてを受け入れ、あらゆるスタイルが混じり合い多様性に溢れた様々な色彩に囲まれている。
 沖縄の古民家のイメージの木造赤瓦。その起源ももとは日本家屋の流れで、赤瓦は庶民には戦後産業復興のために普及されている。首里城は、中国の城から影響を受けたものである。
 人が原風景と呼ぶ時、その時代によって大きく異なるものなのかと思うが、1959年岡本氏が訪れた、全てを受け入れて明るく逞しく自分たちの文化としてゆく沖縄は、今も変わらず存在している。
 色彩と建築とそして沖縄・・・・人に快感を与える1/fゆらぎ、フラクタルは、部分と全体が分かちがたく在り、全体の在り方が部分の在り方
に影響を与えているということ。その土地が生み出す色。歴史や人の生活から生み出される色。混沌としているようで、感じる沖縄の心地よさは、ヴァリエーションを抱えるという沖縄の文化の本質を全体として、分かちがたく部分へ影響し有機的な都市空間が生まれていたからなのかもしれないと思う。
 一つの色に全ての色が含まれているとされるマゼンダ(オーラソーマにおいて)。マゼンダには“本当に大切なものは何気ない日々の日常の中に存在する。日常の中の神聖さ”というメッセージを持つという。何もない御嶽空間があの世とこの世を繋げ、目に見えない世界が身近に日常にある不思議な慣習もある沖縄。何気ない毎日の日々が貴い事を知り全てを受け入れるという沖縄人の気質はマゼンダ
色の性格にとてもよく似ていると思う。



現場調査で行った古宇利島(2015)沖縄の美しい自然は世界の共通言語


Sh-house(本島読谷村2013)沖縄の自然に溶け込むルーバーテラス

4.おわりに
 事務所のコーポレートカラーを決定する際、願いと使命を込めてロイヤルブルーを選択した。「建築家の才能とは直観である。誰かがやってしまえば、後から気が付くと、しごく単純なことなのだが、そこに至るか至らないか。それが直観。」そう語ったのブラジルの巨匠建築家オスカーニーマイヤー。ロイヤルブルーには、「物事の向こう側を見抜く力、直観」という意味があるという。
 
最後に、今回、岡本氏の沖縄文化論を多く引用させて頂いた。下手に私が語るより沖縄文化が伝わると考えたからだ。氏のこの沖縄文化論の本は、10年以上前から私の書棚に並ぶ、実はあまり好きでない本であった。洞察が的を射て過ぎてそして耳の痛いものだったからかもしれない。最近、久々に手にし、改めて素晴らしい内容と受け入れることができるようになったのは、1959年の復帰前の沖縄が過去のものとして確実に遠くになりつつあり、本の中と現実の沖縄が少しずつ乖離し、その乖離の隙間分、私自身の中で客観的にみられるようになったからかもしれない。もともと沖縄にある大切なものをどう引き継ぐか。岡本氏の当時の沖縄へ向けた言葉は、大切なメッセージとして私の心に響いてくる。

芸術とは失われた時間の奪還である。それは人間生命の暗闇から根源的な感動を引出し、純粋な形で叩きつける(中略)今さら琉球なみにユーキューの時間に生きようなんてとぼけた決心をしたって、現代社会では許されない。どうしたら二つの矛盾する時間をそのまま捉え、生命の充実を取り戻すことができるのか。問題は組織化された社会の、組織化された時間の中に、この初源的な感動の持続をいかに盛りこみ生かすということだ


 悠久な時を永遠に生き続けるために創造の中でそれをどう表現し昇華させるか。色彩と同じように、建築は人の心の表れ。建築が人の心を決めてしまうこともある。大切なものを引き継ぐ建築を作ってゆきたい。
 

Hrf-house(本島嘉手納町2014)変わらない悠久のロイヤルブルー夕景。

【引用文献】
新版 沖縄文化論―忘れられた日本 
岡本太郎 
中央公論新社発行 


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